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千葉地方裁判所 昭和33年(ワ)127号 判決 1961年12月22日

原告 国

訴訟代理人 横山茂晴 外五名

被告 鞠承竜 外三一名

主文

一、原告に対し

(一)  被告金賢珍、同鞠承竜、同高準植、同金丁栄、同朴万大、同李玉童、同李守浩、同在日大韓民国居留民団下総支部、同金連斗の九名は、別紙第一物件目録記載(一)、(二)の建物を、

(二)  被告金福基、同金東圭、同朴一来、同呉竜雲、同金容珍、同曽又億万、同金勇雄、同金明讃、同李相洞、同金徳次郎、同盧正奎の一一名は、別紙第二物件目録記載(一)、(二)の建物を、

(三)  被告崔天栄、同李寛辰、同李寛徹、同安在生、同張暁、同徐文錫、同李寿教の七名は別紙第三物件目録記載(一)、(二)の建物を、

それぞれ明渡せ。

二、原告に対し、

(一)  被告金福基は別紙第四物件目録記載の建物を収去してその敷地四坪を、

(二)  被告安在生は別紙第五物件目録記載の建物を収去してその敷地三坪を、

(三)  被告鞠承竜は別紙第六物件目録記載の建物を収去してその敷地一三坪を、

(四)  被告金祥洙は別紙第七物件目録記載の建物を収去してその敷地六坪を、

(五)  被告池金述は別紙第八物件目録記載の建物を収去してその敷地三坪を、

(六)  被告申世勲は別紙第九物件目録記載の建物を収去してその敷地九坪を、

(七)  被告李守浩は別紙第一〇物件目録記載の建物を収去してその敷地一四坪を、

(八)  被告崔花子は別紙第一一物件目録記載の建物を収去してその敷地一五坪七合五勺を、

(九)  被告金昌南、同金達圭の両名は、別紙第一二物件目録記載の建物を収去してその敷地一〇坪五合を、

それぞれ明渡せ。

三、訴訟費用は被告等の負担とする。

四、本判決は仮りに執行することができる。

事実

原告指定代理人は主文同旨の判決並びに仮執行の宣言を求め、その請求原因として、

一、別紙第一乃至第三物件目録記載の各(一)、(二)の建物はいずれも現に原告の所有であり、又被告等のうち、被告在日大韓民国居留民団下総支部は、法人格を有しないが、その代表者の定めある団体であつて、現に右在日大韓民国居留民団下総支部の代表者は支団長安在生であり、右は訴訟法上当事者能力のあるものである。ところで右原告所有にかかる各建物のうち、

(一)  被告金賢珍、同鞠承竜、同高準植、同金丁栄、同朴万大、同李玉童、同李守浩、同在日大韓民国居留民団下総支部、同金連斗の九名は共同で、別紙第一物件目録記載(一)、(二)の建物を、

(二)  被告金福基、同金東圭、同朴一来、同呉竜雲、同金容珍、同曽又億万、同金勇雄、同金明讃、同李相洞、同金徳次郎、同盧正奎の一一名は共同で、別紙第二物件目録記載(一)、(二)の建物を、

(三)  被告崔天栄、同李寛辰、同李寛徹、同安在生、同張暁、同徐文錫、同李寿教の七名は共同で、別紙第三物件目録記載(一)、(二)の建物を、

それぞれ原告に対抗し得る何等の権原もなく不法に占有している。

二、又市川市国府台一丁目一番の一、宅地五万五三一九坪五合九勺(旧野戦重砲連隊敷地)の土地は、原告の所有であるところ、右地上に原告に無断で、

(一)  被告金福基は戦後建築せられた別紙第四物件目録記載の建物を現に所有してその敷地四坪を、

(二)  被告安在生は戦後建築せられた別紙第五物件目録記載の建物を現に所有してその敷地三坪を、

(三)  被告鞠承竜は昭和三一年一二月、同三二年五月、同三三年五月の三回に亘り別紙第六物件目録記載の建物を建築し、現にこれを所有してその敷地一三坪を、

(四)  被告金祥洙は昭和二二年頃別紙第七物件目録記載の建物を建築し、現にこれを所有してその敷地六坪を、

(五)  被告池金述は昭和三二年七月頃別紙第八物件目録記載の建物を建築し、現にこれを所有してその敷地三坪を、

(六)  被告申世勲は昭和三三年四月頃別紙第九物件目録記載の建物を建築し、現にこれを所有してその敷地九坪を、

(七)  被告李守浩は昭和三三年四月頃別紙第一〇物件目録記載の建物を建築し、現にこれを所有してその敷地一四坪を、

(八)  被告崔花子は昭和三〇年三月頃別紙第一一物件目録記載の建物を建築し、現にこれを所有してその敷地一五坪七合五勺を、

(九)  被告金昌南、同金達圭の両名は、昭和二八年五月頃別紙第一二物件目録記載の建物を建築し、現にこれを右両名共同で所有してその敷地一〇坪五合を、

それぞれ原告に対抗し得る何等の権原もなく不法に占有している。

よつて原告は前記一記載の建物所有権及び同二記載の土地所有権に基き、主文記載の通り、前記一の(一)乃至(三)記載の被告等に対してはその各占有にかかる右建物の明渡を、又前記二の(一)乃至(九)記載の被告等に対しては、同被告等所有にかかる前記各建物を収去してその敷地の明渡を、それぞれ求めるため本訴請求に及んだと述べ、

被告金連斗を除くその余の被告等の主張事実中、もと在日朝鮮人を構成員とする朝鮮建国促進青年同盟下総支部なるものが存在していたこと、昭和二四年八月二六日付で前記同盟下総支部代表者李寛徹名義の乙第八号証(甲第四号証)の承諾書が原告に提出されたこと、被告金賢珍外二五名が別紙第一乃至第三物件目録記載の各(一)の建物に、同各(二)の建物を附加して建築し、右各(二)の建物が附合により原告の所有となつたことはいずれも認める。右朝鮮建国促進青年同盟下総支部の性格、構成員等の詳細は不知、その余の事実は在日大韓民国居留民団下総支部の目的、組織、性格等の点を除き全部争う。

一、原告は別紙第一乃至第三物件目録記載各(一)の建物及び同第四乃至第一二物件目録記載の各建物の敷地を含む被告等主張の建物及び土地につき、被告等主張の如き賃貸借契約を締結したことはない。すなわち、

(一)  別紙第一乃至第三物件目録記載各(一)の建物、及び、同第四乃至第一二物件目録記載の各建物の敷地は、旧野戦重砲兵第一八連隊の兵舎並にその敷地の一部であり、敗戦による占領軍の進駐とともに接収されたが、昭和二三年三月四日米占領軍より返還を受け、爾来大蔵省所管の普通財産となつたもので、右軍用施設は昭和二一年五月二七日以降占領軍の許可を得て、東京医学歯学専門学校(現在東京医科歯科大学)が校舎として一時使用を許され、以後国に返還された後も引き続きその使用を許されているものである。

したがつて原告が右建物及び土地につき、被告等主張の如き賃貸借契約を締結したことは全くなく、却つて、被告等を含む在日朝鮮人は、終戦後の混乱に乗じ、昭和二一年頃より集団的に無断で右各建物に入居し、以後引き続き右建物を不法に占有し、かつ一部の被告等は前記土地上に前記の通り別紙第四乃至第一四物件目録記載の建物を建築して不法にその敷地を占有しているものである。

(二)  尚原告は右被告等の不法占有に対し、これが排除のためあらゆる努力を尽したけれども、終戦後の特殊事情のためその目的を達せず、昭和二四年八月頃に至り、漸く会計検査院の指摘する過去の弁償金(不法占有期間中の使用料相当の損害金)の徴収について、被告主張の乙第八号証(甲第四号証)の承諾書を徴し、これに基いて使用料相当額を調査し、昭和二四年九月一日、弁償金徴収決定をして、被告等主張の土地二〇一四坪より入口三九九坪を差引いた一六一五坪及び建物二〇九坪五合に対する昭和二一年四月一日以降同二四年三月三一日迄の使用料相当の損害金二万六〇七三円五一銭を徴収し得たに過ぎない。しかしてその後更に昭和二七年六月二〇日付で前記同盟下総支部安田健次郎名義で甲第七号証の弁償金徴収承諾書が提出されたので、前記の如く同人宛に金九万一五一一円の納入告知したが右金員は納付されないまま現在に及んでいる。

したがつて右賃貸借契約が成立したことを前提とする被告等の主張は失当である。

二、次に被告等は原告の本訴請求は権利濫用であると主張するが、原告の明渡を求める本件建物及び土地は、前記の通り昭和二一年五月二七日以降東京医科歯科大学に対し、校舎として使用することを許可しているものであつて、現在右大学において、校舎拡張のためこれを使用する緊急の必要があるところ、被告等は右建物及び土地を何等の権原もなく不法に占有して右大学の使用を妨害しているから、かかる被告等が権利濫用を唱えるのは筋違いであつて、右被告等の主張は理由がない。

と述べ、

立証として甲第一号証乃至第一二号証を提出し、証人井村薫、同遠山黛、同服部三次、同鈴木章、同吉田喜一の各証言を援用し、乙第二号証の成立並びに乙第三号証乃至第七号証の原本の存在及びその成立はいずれも認める、乙第一〇号証中、証明部分の成立は認めるがその余の成立は不知、その余の乙号各証の成立は不知と述べた。

被告金連斗を除くその余の被告三二名の訴訟代理人は、請求棄却の判決を求め、答弁として原告の主張事実中、別紙第一乃至第三物件目録記載の各(一)、(二)の建物がいずれも原告の所有で、あること、原告がその請求原因一の(一)乃至(三)において主張する通り、被告金賢珍外二五名の被告等が右建物をそれぞれ占有していること、市川市国府台町一丁目一番の一、宅地五万五三一九坪五合九勺が原告の所有であること、原告がその請求原因二の(一)乃至(九)において主張する通り、被告金福基外九名の被告が、それぞれ原告主張の各建物をその主張の頃建築し、現にこれを所有してその敷地を占有していることはいずれも認めるが、右各被告等の占有が不法占有であるとの点は否認する。

被告金連斗を除くその余の被告三二名は次に述べる通り、適法に右建物及び土地を占有しているものである。すなわち、

一(一)  被告等を告む在日朝鮮人で構成されていた朝鮮建国促進青年同盟下総支部の構成員の多くは、戦時中、徴傭工、軍人、軍属等として日本に来たもので、その多くは戦後日本に定住すべき住居を持たなかつたため、昭和二〇年九月頃より、監督官庁の許可を受けて市川市内「憲兵隊庁舎」に居住し、ついで間もなく市川市役所調整課の要請により、右建物を明渡して津田沼市内の「旧憲兵隊庁舎」に移住した。

(二)  ところが更にその後大蔵省東京財務局千葉管財支所より、被告等を含む右同盟会員に対し、当時国有の雑種財産として大蔵省の管理していた市川市国府台に所在する旧東部第一八八部隊跡の建物及び土地を提供するから、前記「旧憲兵隊庁舎」を明渡して貰いたい旨の要求があつたので、被告等同盟会員はこれを了承し、右旧東部第一八八部隊跡の建物及び土地を国から賃借してこれに移転することになつたが、当時右住居を必要とする者が約二〇〇名近くあつたので、右各別に賃貸借契約を締結する手続の瑣環を避けるため、被告鞠承竜が被告等同盟会員を代表し、同被告個人名義で、昭和二一年三月頃、原告からその所有にかかる別紙第一乃至第三物件目録記載の各(一)の建物、及び同第四乃至第一二物件目録記載の各建物の敷地を含む市川市国府台一丁目一番地の一、旧東部第一一八部隊跡の建物二三九坪及び宅地二〇一四坪(建物所有を目的とする)を、前記被告等同盟会員の住居及び住居用建物の敷地に使用する目的で、次の如き約旨により賃借し、その一時使用許可書の交付を受けた。

(1)  賃貸借期間は一応形式的に一年とし、以後特段の事由がない限り、毎年一年毎に当然更新されるものとすること、

(2)  賃料は追て定められる東京管財局の査定基準に従つて取りきめること、

(3)  右賃借物件は被告鞠承竜個人名で借り受けるが、これは同被告の個人的に使用するものではなく、賃貸借契約締結の当初から右物件を占有使用する在日朝鮮人並びに日本において住居に困窮している他の在日朝鮮人にも之を使用させるものとすること、

(4)  右の場合における賃料の支払及び賃借物件の監守保存並びに賃貸借契約終了時における賃借物件の返還義務等本契約より生ずる賃借人の義務は、すべて被告鞠承竜が負担すること、

(5)  右被告鞠承竜が右賃借物件より退去した場合、引き続き右物件を使用している者のなかから選任された代表者が、原告の承認を受けてその地位を承継すること、

(三)  しかして右原告と被告鞠承竜との賃貸借契約はその後屡次にわたり大蔵省から出された通達・訓令の趣旨からして民法第六一九条、借地法第七条、借家法第二条の適用ある通常の賃貸借と解すべきであつて、右賃貸借契約はその後当然に期間が更新されて現に有効に存続するところ、前記被告金賢珍外二五名の被告等は、右賃貸借契約に基いて、現在同被告等の占有する別紙第一乃至第三物件目録記載の各(一)の建物の占有使用を始めたが、その後右被告等は自己の使用に供するため右第一物件目録(一)の建物に附加して同目録(二)の建物を、同第二物件目録(一)の建物に附加して同目録(二)の建物を、同第三物件目録(一)の建物に附加して同目録(二)の建物を各建築したので、右各(二)の建物は、同(一)の各建物に附合して原告の所有となると共に、当然前記賃貸借の目的となり、以後右各(一)、(二)の建物全部を適法に占有使用しているものである。又被告金福基外九名の被告も、前記賃貸借契約に基いて、原告主張の土地上に別紙第四乃至第一二物件目録に各記載の建物を建築して、その敷地部分を適法に占有しているものである。

(四)  尚右賃借物件の賃料は、その後昭和二四年八月頃、漸く千葉管財支所より、その査定基準が定まつたからこれを支払うよう要求があつたので、被告等は当時不在であつた前記被告鞠承竜の代わりに、被告李寛徹を被告等の代表責任者に選び、その頃同人名義で乙第八号証(甲第四号証)の承諾書を差入れた上、昭和二一年三月より同二三年三月末日迄の賃料として金三万七〇〇〇円を原告に支払つた。

そして昭和二三年四月以降の賃料についてはその後同二八年三月になつて、千葉管財支所より右昭和二三年四月以降同二六年三月末日迄の賃料として九万五〇〇〇円を納入するよう告知されたので、その頃被告等の代表者が右賃料を集金してこれを納めようとしたところ、その納入直前に内部の金某が右集金した金を私的に費消したため、滞納となりその後翌二九年頃被告等は、右賃料九万五〇〇〇円を支払うべく右千葉管財支所に再三その納入告知書を作成するよう依頼したが、その都度同支所係員から事務上の都合等を理由に拒絶され、やむなく右賃料は未払のまま今日に至つているものである。

以上の次第で、被告等は前記原告と被告鞠承竜との間の賃貸借契約に基き、適法に前記建物及び土地を占有しているものである。

二、仮りに右主張が認められないとしても、前記昭和二一年三月頃、原告と権利能力なき社団である朝鮮建国促進青年同盟下総支部との間に、前記と同一趣旨の賃貸借契約が締結されたものである。すなわち、

(一)  朝鮮建国促進青年同盟下総支部(昭和二五年九月頃大韓青年団と改称)は、終戦直後に在日朝鮮人の中、青壮年をその構成員とし(大体三〇才以下)、在日朝鮮人の民族意識を昂め、朝鮮の独立建国の促進を計り、併せて在日朝鮮人が無事に朝鮮に帰郷できるようになる迄相互協力によつて、住宅対策等の生活条件の安定を計ることを目的として全国的に組織された朝鮮建国促進青年同盟の下部組織であつて、旧津田沼憲兵隊庁舎内に居住していた朝鮮人をその構成員として組織された団体である。そして同支部内には意思決定機関として会員総会を備え、執行機関として支部長を置き、その下の組織として、総務部、財政部、文化部、建設部、監査機関として監査を置き、支部長その他の役員は会員総会によつて選任することとし、会員は各自会費を拠出して団体を運営すべき旨を定められた独立の財産管理機構をもつ組織体であつたから、右支部は法人登記を経ていなかつたが所謂「権利能力なき社団」として独立の権利主体たり得べきものであつた。

(二)  しかして所謂「権利能力なき社団」はその代表者によつて自己の名において有効に私法上の契約主体又は権利主体たり得ると解すべきところ、前記朝鮮建国促進青年同盟下総支部は、昭和二一年三月頃、その代表者であつた被告鞠承竜を介して原告との間に、原告所有にかかる前記一の(二)記載の建物二三九坪及び土地二〇一四坪につき、同(二)の(1) 乃至(5) に記載と同趣旨の賃貸借契約を締結して右物件を賃借した。

(三)  ところでその後右朝鮮建国促進青年同盟とは別にその姉妹団体として、昭和二二年一〇月頃、朝鮮(韓国)居留民団下総支部が組織され、同民団は、前記右青年同盟と略同趣旨の目的と組織を有していたが、ただ年令上の制限がなく、満三〇才以下の者は右青年同盟員であると同時に居留民団員となり、年令満三〇才を超えると自動的に青年同盟員の資格を失う定めであつたところ、右青年同盟が原告と前記賃貸借契約を締結した当時、その構成員であつた者の大部分は現在ほとんど満三〇才を超え、自動的に在日大韓民国居留民団下総支部の構成員となつたから、右青年同盟が原告と締結した賃貸借契約は、当然に在日大韓民国居留民団下総支部に承継された。

(四)  そして被告等は、現在右賃貸借契約に基いて原告主張の建物及び土地を適法に占しているものである。

三、仮りに被告等主張の右賃借権が認められないとしても、原告の本訴請求は権利の濫用であつて許されない。すなわち、

(一)  被告等の殆んどが、軍人軍属、徴傭工として戦時中、日本国の要請により、大東亜戦争に協力すべく或は半強制的に、又は自ら志願して故郷を離れ日本国に移住したもので、その概要は次の通りである。

(1)  被告鞠承竜は戦時中、学生であつたが、学徒動員によつて中島飛行機株式会社等の軍需工場で飛行機等の組立業務に従事し、被告池金述は昭和一八年暮頃勉学のため内地に渡航したが、その志を果さず川崎市上小田中所在日本特殊製鋼所(軍協力工場)の労務に従事し、同申世勲は昭和一九年頃より終戦時迄国民徴傭令による徴傭を受けて、川崎市日本鋼管工場の職工として働いた。

(2)  被告李守浩、同李玉童は昭和一七年頃、朝鮮に在住中現地で勤労者挺身隊に徴傭、半強制的に日本に連れて来られたものであり、同李守浩は干葉県松戸市の飛行場建設労務に、同李玉童は石川島造船所の工員として働き、夫々そこで終戦を迎えて前記同盟支部に合流したものである。

(3)  被告朴万大は昭和初年頃渡日し、自ら選んだ職業に就いていたが、戦時中石川島造船所において徴傭工として働いているうち、一家の柱と頼む息子が徴兵されて南方で戦死を遂げ、終戦と共に前途に希望を失つて路頭に迷い、右青年同盟に救助を求めて参加したものである。

(4)  被告高準植は昭和一七年頃日本国政府によつて渡日を命ぜられ、北海道三井炭坑に坑夫として働いていたが、そこにおける待遇が極度に劣悪であつたため、終戦時には、肉体的、精神的に廃人同様となり、相当期間浮浪者として流れていたものである。

(5)  被告盧正奎は昭和一四年六月頃勉学のため渡日、横浜市立工業に入学したが、二年で中退し、横浜市島田製作所に勤務中徴傭されて東京芝浦電気株式会社鶴見工場に勤務中、再び徴兵されて横浜歩兵連隊に入隊、兵役中に終戦を迎えたが、帰国の希望が容れられず今日に至つた。

(6)  被告金福基は昭和一七年頃労働者募集によつて渡日、川崎市日本鋼管株式会社の工場に職工として働いていたが終戦と同時に失職、同金東圭は徴傭令によ強制的に渡日、北海道炭砿で労務に従事終戦と同時に失職、同金連斗は昭和一八年徴傭渡日、中島飛行機工場に、同金昌南は昭和一五年一〇月頃前同様に徴傭、江東区亀戸九丁目広告鉱船株式会社に労務者として働いていたが共に失職した。

(7)  被告張暁は昭和一七年三月頃勉学のため渡日したものであるが、同一八年三月頃福岡県大牟田市三井三池炭砿宮浦坑において勤労報国隊の一員として働いていたが、終戦後直ちに失職した。

(8)  被告李寛辰は、前同様九州八幡製鉄に勤務中、同呉竜雲は昭和一六年徴傭、追浜飛行場建設に従事中、同李寿教は静岡県より徴兵南方に転戦中、同徐文錫は、川崎日本鋼管に労務者として勤務中、いずれも終戦を迎えた。

(9)  被告李相洞は、千葉商科大学を卒業したが、附近にある右被告等の住宅、悲惨な生活状況をみて、自らクリスチヤンであるところから、その子供等に少しでも教育を授けようと決意し、日本キリスト教会の市川教会の牧師と相談し、本件建物内に日曜学校を開き現在に至つている。

(二)  右に掲げた以外の者も、右と大体同様の事情の下に日本に来たもので、これを要するに被告等は日本国の戦時中の国家総動員法等に基き、自己の意思に反し強制的に、或は進んで日本国に移住して戦争目的遂行のため国策に協力し、夫々労務に従事していたものであるが、終戦を迎えるや、外国人であるためその殆んどが失職し、日本国政府から何の補償もなきまま、国際情勢の複雑さのため、又は経済的理由のため帰国もできず、住むべき家もなかつたのである。

(三)  右のような事情から、当時の日本国の関係機関関係者もいたくその窮状に同情し、また進駐軍関係の斡旋もあつて、被告等は前記の通り市川市の旧憲兵隊宿舎又は津田沼の旧憲兵隊宿舎を与えられてこれに居住していたが、その後、国において右旧憲兵隊宿舎を他に転用する必要があつたため、国の要請によつて、被告等は国府台所在の本件建物及び土地に移転したものである。しかして右移転に際し、被告等は財務局の係官立会の上、現地を調査したところ、現在被告等の占有使用している建物及び土地並びにその附近一帯は当時非常に荒廃していたが、再三にわたる国の懇請により、やむなく右建物及び土地に移つたもので、その後被告等は入居当時荒廃していた右建物及び土地に自費を投じて補修改良し、約三〇世帯二〇〇人が正業に従事し、穏健なる思想をもつて平穏に生活しているのに、国民に健康で文化的な最少限度の生活を保障している国が特別緊急の必要もないのに、右建物及び土地の明渡を求める事は明らかに自己矛盾である。

(四)  しかも、大蔵省等においては、現在その内部的な通牒である普通財産実態調査処理要領に基き、正規の契約関係によらずして国有地を占有使用している者がある場合に、その占有使用するに至つた経緯につき、憫諒すべき事情があるか、又はその占有の不法性が稀薄な場合は、進んでこれ等の者と正式契約をすることを指示し、かつ現実にこれを実施している。したがつて前記の如き事情の下に前記建物及び土地を占有使用するに至つた被告等に対しては、当然右建物及び土地を正式に貸付けるか又は払下げることのできる状況にあるに拘らず、その手続をなすことなく一方的に右明渡のみを迫るは著しく不当である。

(五)  殊に被告等は従来の未払賃料又は損害金を支払う意思を有し、又被告等の居住に最少限度の建物又は土地さえ確保されれば、前記建物及び土地を明渡す意思を有しているところ、原告は一方において、右土地附近に日本人の海外帰国者のため厚生寮を設けるなどして国民の生活の安定を計つているのに、被告等に対してだけ、前記賃料又は損害金の受領を拒絶して、正当な理由もなく、適当な代替地も与えず、一方的にその明渡を求めることは、不当であつて、仮りにも韓国人であるが故に国の保護を与えないものとすれば憲法一四条に違反するとのそしりを免れない。

以上の如き諸般の事情に照らせば、原告の本訴請求は明らかに権利の濫用であつて許さるべきではない。

と述べた。

被告金連斗は請求棄却の判決を求め、答弁として原告の主張事実中、別紙第一物件目録記載(一)、(二)の建物が原告の所有であること、被告金連斗が右建物のうち中央部二〇坪を占有していることは認めるがその余の事実は否認する。

別紙第一物件目録記載(一)、(二)の建物は、昭和二三年頃朝鮮建国促進連盟下総支部長鞠承竜が所轄官庁からその入居の許可を得たもので、その後被告金連斗は右鞠承竜に代つて昭和二三年から同二七年頃までその責任者として右建物に居住し、昭和二七年頃以後は、右朝鮮建国促進連盟下総支部が在日大韓民国居留民団下総支部に変つたので、その団員として右建物に居住し占有しているものである。

と述べた。

立証として被告金連斗を除くその余の被告等三二名の訴訟代理人は、乙第一号証乃至第一〇号証を提出し、乙第三号証乃至第七号証は原本の写しであると述べ、証人井村薫、同遠山黛、同生方文尾、同藤森はつ、同権京子の各証言及び被告鞠承竜、同安在生、同李守浩、各本人尋問の結果を援用し甲号各証の成立を認め、甲第一二号証を援用した。

被告金連斗は甲号各証の認否をしなかつた。

理由

まず原告の被告金連斗を除くその余の被告等三二名に対する請求について判断する。

別紙第一乃至第三物件目録記載の各(一)、(二)の建物及び市川市国府台一丁目一番の一、宅地五万五三一九坪五合九勺(旧野戦重砲連隊敷地)がいずれも原告の所有であることは右当事者間に争いなく、証人権京子の証言及び被告鞠承竜、同安在生、同李守浩各本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨を綜合すると、被告在日大韓民国居留民団下総支部は法人格を有しないが、右在日大韓民国居留民団下総支部は、在日韓国人の福利その他を主目的とし、多数の在日韓国人で構成され、かつその代表者の定めある社団であつて、独立の社会活動を営み、現にその下総支部における代表者は安在生であることが認められるので、右社団は訴訟法上独立に当事者能力のあるものであるというべきである。

しかして右原告所有にかかる別紙第一乃至第三物件目録記載の各(一)、(二)の建物のうち、

(一)  被告金賢珍、同鞠承竜、同高準植、同金丁栄、同朴万大、同李玉童、同李守浩、在日大韓民国居留民団下総支部の八名が共同で別紙第一物件目録記載(一)、(二)の建物を、

(二)  被告金福基、同金東圭、同朴一来、同呉竜雲、同金容珍、同曽又億万、同金勇雄、同金明讃、同李相洞、同金徳次郎、同盧正奎の一一名が共同で、別紙第二物件目録記載各(一)、(二)の建物を、

(三)  被告催天栄、同李寛辰、同李寛徹、同安在生、同張暁、同徐文錫、同李寿教の七名が共同で、別紙第三物件目録記載(一)、(二)の建物を、

それぞれ占有していること、

又前記原告所有にかかる宅地五万五三一九坪五合九勺の土地上に、

(一)  被告金福基が戦後建築せられた別紙第四物件目録記載の建物を現に所有してその敷地四坪を、

(二)  被告安在生が戦後建築せられた別紙第五物件目録記載の建物を現に所有してその敷地三坪を、

(三)  被告鞠承竜が昭和三一年一二月、同三二年五月、同三三年五月の三回に亘り別紙第六物件目録記載の建物を建築し、現にこれを所有してその敷地一三坪を、

(四)  被告金祥洙が昭和二二年頃別紙第七物件目録記載の建物を建築し、現にこれを所有してその敷地六坪を、

(五)  被告池金述が昭和三二年七月頃別紙第八物件目録記載の建物を建築し、現にこれを所有してその敷地三坪を、

(六)  被告申世勲が昭和三三年四月頃別紙第九物件目録記載の建物を建築し、現にこれを所有してその敷地九坪を、

(七)  被告李守浩が昭和三三年四月頃別紙第一〇物件目録記載の建物を建築し、現にこれを所有してその敷地一四坪を、

(八)  被告崔花子が昭和三〇年三月頃別紙第一一物件目録記載の建物を建築し、現にこれを所有してその敷地一五坪七合五勺を、

(九)  被告金昌南、同金達圭の両名が昭和二八年五月頃別紙第一二物件目録記載の建物を建築し、現にこれを右両名共同で所有してその敷地一〇坪五合を、

それぞれ占有していること、以上の事実はいずれも右当事者間に争いない。

ところで被告等は前記別紙第一乃至第三物件目録記載の各(一)の建物、及び別紙第四乃至第一二物件目録記載の建物の敷地を含む旧東部第一八八部隊跡の建物二三九坪及び宅地二〇一四坪は、原告から昭和二一年三月頃被告鞠承竜が賃借したものであり、仮りにそうでないとしても当時権利能力なき社団であつた朝鮮建国促進青年同盟下総支部が原告から賃借したものであると主張するが、右主張事実に副う被告鞠承竜、同安在生、同李守浩各本人尋問の結果は、いずれも後記各証拠に照らしたやすく信用できず、他に右主張事実を認め得る適確な証拠はない。却つて成立に争いない甲第一号証乃至第一二号証、乙第二号証、原本の存在及び成立に争いない乙第三号証、証人藤森はつの証言により成立の認め得る乙第九号証、証明部分につき成立に争いなく、その余の部分につき、被告鞠承竜本人尋問の結果により成立の認め得る乙第一〇号証、証人井村薫、同遠山黛、同服部三次、同鈴木章、同生方文尾、同藤森はつ、同権京子、同吉田喜一の各証言、被告鞠承竜、同安在生、同李守浩各本人尋問の結果(但し、右各被告本人尋問の結果中、前記信用しない部分は除く)並びに弁論の全趣旨を綜合すると次の事実を認めることができる。すなわち、

一、戦後在日朝鮮人の青年によつて、在日朝鮮人の民族意識を昂め、朝鮮の独立建国の促進をはかり、併せて在日朝鮮人の福利をはかること等を主たる目的とした朝鮮建国促進青年同盟なる団体が結成され、昭和二一年頃、その下総支部の代表責任者は被告鞠承竜であつたこと、ところで右下総支部は同年初め頃千葉県千葉郡二宮町(現在船橋市)に所在する旧習志野憲兵分隊の建物の一部を事務所として使用し、それと共に被告等の一部を含む若干の在日朝鮮人が右同所に居住していたが、その後関係機関からその立退きを求められたので、同年四、五月頃、右下総支部はその事務所を市川市国府台一丁目一番地の一に所在する別紙第一物件目録記載(一)の建物に移転し、かつそれと同時に前記憲兵分隊の建物に居住していた在日朝鮮人も右(一)の建物又はその附近にある別紙第二・三物件目録記載各(一)の建物に移住したこと、そしてその前後の頃から右の外被告等を含む他の在日朝鮮人が漸次右各建物に移住して該建物及びその敷地を含む附近の土地を占有使用するようになつたこと、

二、ところで当時右別紙第一乃至第三物件目録記載各(一)の建物及びその敷地を含む附近の土地は、他の軍用建物及び土地と同様に一応進駐軍に接収されていたので、これを一般に賃貸し、又は一時使用の認可するに当つては、大蔵省東京財務局長が進駐軍の許可を受けて、右賃貸又は一時使用の認可をすることになつており、地方の一管財支所長である千葉管財支所長には、右処分の権限がなかつたところ、朝鮮建国促進青年同盟下総支部及び被告等を含む在日朝鮮人が前記各建物及び土地の使用を始めるに際し、被告等主張の如く被告鞠承竜又は右下総支部名義で東京財務局長から右正規の賃貸又は一時使用の認可を受けていなかつたことは勿論、その認可申請の手続さえもせず、無断で右使用を始めたものであつて、その後右各建物及び土地が昭和二三年三月、進駐軍から原告に返還されて大蔵省所管の普通財産となつた後も、被告等が原告からこれを借り受けたことは全くないこと、却つて右別紙第一乃至第三物件目録記載各(一)の建物を含む旧東部第一八八部隊跡の建物及び土地は、昭和二一年五月二七日付を以て、当時の東京医学歯学専門学校(現在東京医科歯科大学)が右東京財務局長から進駐軍の許可を得て適法に一時使用の認可を受け、その後昭和二三年三月進駐軍から原告に右物件が返還された後も、引き続き原告からその使用を許されて現在に及んでいること、

三、ただその間において、昭和二一・二年頃、被告鞠承竜の外、当時学生であつた在日朝鮮人等が、当時の干葉管財支所長井村薫の事実上の承認を受けて右第一八八部隊の将校集会所跡の建物を使用していたところ、その後アメリカ人宣教師パーラスが右建物を使用することになつたので、昭和二三年初め頃、千葉管財支所の係官の指示によつて、右在日朝鮮人等が別紙第一乃至第三物件目録記載の各(一)の建物に移転したことはあるが、右はいずれも千葉管財支所の係官が単なる行政的措置として当時学生であつた在日朝鮮人に対し、その在学中に限つて、右各建物の事実上の使用を容認したものに過ぎず、これによつて原告がその権限ある機関を通じて正規に右各建物を貸付けたものではないこと、

四、しかして原告は前記の通り、被告等を含む在日朝鮮人が昭和二一年頃から原告に対抗し得る何等の権限もなく別紙第一乃至第三物件目録記載各(一)の建物に移住し、かつそれと同時にその敷地を含む附近の土地を不法に占有使用していたので、昭和二四年頃会計検査院の指示により、右被告等を含む在日朝鮮人から、右不法占有に対する使用料相当の損害金を弁償金として徴収することとなり、その頃千葉管財支所の係官等が、甲第三号証の普通財産調査書及び甲第二号証の普通財産弁償金徴収決定決議書を作成し、かつ当時朝鮮建国促進青年同盟下総支部の代表者であつて、被告等在日朝鮮人を代表していた被告李寛徹に、甲第四号証の「朝鮮建国促進青年同盟下総支部代表者李寛徹」名義の承諾書をさし入れさせて、同二五年四月一六日、前記建物計二〇九坪五合(但し、当時の実測による)、土地二〇一四坪に対する昭和二一年四月一日以降同二四年三月三一且迄の使用料相当の損害金として計金二万六〇七三円を納めさせたこと、そして更に同二七年頃、右同様昭和二四年四月一日以降同二七年三月三一日迄の右使用料相当の損害金九万一五一一円を徴収すべく、甲第五・六号証の普通財産弁償金徴収決定決議書及び普通財産調査書を作成し、それと同時に、当時の前記下総支部の代表者であつて、被告等在日朝鮮人を代表していた被告安田健次郎こと安在生に甲第七号証の弁償金徴収承諾書をさし入れさせて、右損害金の納入告知書を出したが、右損害金はその後被告金連斗が被告在日朝鮮人から集めた金員を自己の用途に費消したため、結局納入されなかつたこと、

五、尚別紙第一乃至第三物件目録記載の各(二)の建物は、その後同目録記載各(一)の建物に居住している被告等が、原告に無断で右各(一)の建物に附加して建築したものであつて、右各(二)の建物はいずれも各(一)の建物に附合して原告の所有となつたものであること、

以上の事実が認められ、他に右認定を左右するに足る証拠はない。そうだとすれば被告鞠承竜又は朝鮮建国促進青年同盟下総支部が、昭和二一年三月頃、被告等主張の建物二三九坪及び土地二〇一四坪を原告から賃借したことはないというべく、右賃貸借の成立したことを前提とする右被告等の主張は失当であつて、被告金連斗を除くその余の被告等は、同被告等がそれぞれ現に占有している前記各建物及び土地を、その所有者である原告に対抗し得る何等の権原もなく不法に占有しているものといわなければならない。

次に被告金連斗を除くその余の被告等は、同被告等占有にかかる右建物及び土地の明渡を求める原告の本訴請求は権利の濫用であると主張するが、前段認定の事実によつて明らかな通り、被告等は当初何等原告との正当な契約関係に基かずして不法に右建物及び土地の占有を始めたものであつて、かつ以後引き続き現在に至るまで、原告に対抗し得る何等の権原もなく不法に右建物及び土地を占有しているのであるから、被告等が日本に来た事情やその他被告等主張の如き事情の有無如何を問わず、原告が右被告等に対し、右建物及び土地の所有権に基き、その明渡を求めることは、そのこと自体所有者たるものの当然の権利行使と解すべきであるのみならず、前段認定の事実及び証人井村薫、同鈴木章の各証言並びに弁論の全趣旨によれば、右被告等の占有する建物及び土地は、現に原告が東京医科歯科大学に貸与しているものであつて、同大学の校舎拡張のため同大学にこれを使用させる必要があるに拘らず、被告等の右不法占有によりその使用が妨げられていることが認められるから、原告において早急に右建物及び土地の明渡を求める必要のあることは明らかである。よつて右明渡を求める原告の本訴請求は、正当な権利行使というべきであつて、何等権利の濫用ではないから、右被告等の主張は失当である。

よつて被告金連斗を除くその余の被告等は、原告に対し、主文第一・二項記載の通りの区分に従つて、それぞれ前記各占有にかかる別紙第一乃至第三物件目録記載の各(一)、(二)の建物を明渡し、又同第四乃至第一二物件目録記載の建物を収去してその敷地を明渡すべき義務があるといわなければならない。

次に原告の被告金連斗に対する請求について判断するに、別紙第一物件目録記載(一)、(二)の建物が原告の所有であること、及び被告金連斗が右建物のうち中央部二〇坪を占有していることは右当事者間に争いなく、被告金連斗が右占有部分の外に、更に右建物のその余の部分全部を被告金賢珍外七名の被告等と共に共同で占有していることは右共同被告である金賢珍外七名の答弁内容及びその他弁論の全趣旨によつてこれを認めることができる。

ところで被告金連斗は、右建物は昭和二三年頃、朝鮮建国促進青年同盟下総支部長鞠承竜が所轄官庁からその入居の許可を得たもので、被告金連斗はこれに基いて現に右占有をしていると主張するが、同被告はこの点につき何等の立証をしないのみならず、却つてさきに認定の事実関係からすれば、右下総支部長鞠承竜がその主張の如き入居の許可を受けたことのないことが明らかであるから、右被告金連斗の主張は失当である。そうだとすれば被告金連斗は右建物の所有者である原告に対抗し得る何等の権原もなく不法に右建物を占有しているものというべく、したがつて同被告は原告に右建物を明渡すべき義務があるといわなければならない。

よつて被告等に対し、別紙第一乃至第三物件目録記載各(一)、(二)の建物所有権に基きその明渡と、同第四乃至第一二物件目録記載の建物の敷地所有権に基き、同目録各記載の建物を収去して右土地の明渡を求める原告の本訴請求はすべて正当であるからこれを認容し、訴訟費用につき民事訴訟法第八九条、第九三条第一項本文を、又仮執行の宣言につき、同法第一九六条第一項を適用して主文の通り判決する。

(裁判官 猪俣幸一 後藤勇 辻忠雄)

第一 物件目録

(一) 旧軍用建物

市川市国府台町一丁目一番地の一

に所在する

旧野戦重砲兵連隊下士官集合所

木造瓦葺平家建物 一棟 建坪 七九坪 (附属図面<17>)

(二) 附合建物

右建物に附属して建築せられている

木造ルーフイング葺平家建炊事場  建坪 四坪七合五勺 (附属図面<ヘ>)

〃           〃    建坪 五合     ( 〃  <ト>)

〃           玄関   〃  二坪七合五勺 ( 〃  <チ>)

〃 亜鉛葺   〃   物置   〃  二坪     ( 〃  <チ>)

第二 物件目録

(一) 旧軍用建物

市川市国府台町一丁目一番地の一に所在する

旧野戦重砲兵連隊酒保

木造瓦葺平家建物 一棟 建坪 五八坪 (附属図面<15>)

(二) 附合建物

右建物に附属して建築せられている

木造波形スレート葺平家建物置 建坪 三坪   (附属図面<ヌ>)

〃          炊事場 〃  三坪   ( 〃  <ル>)

〃          〃   〃  三坪   ( 〃  <オ>)

〃          〃   〃  三坪   ( 〃  <ワ>)

〃          〃   玄関 一坪五合 ( 〃  <ワ>)

第三 物件目録

(一) 旧軍用建物

市川市国府台町一丁目一番地の一に所在する旧野戦重砲兵連隊浴室 木造瓦葺平家建物一棟 建坪 六九坪 (附属図面<74>)

(二) 附合建物

右建物に附属して建築せられている

木造ルーフイング葺平家建物建坪 九坪七合五勺 (附属図面<レ>)

〃            〃  四坪二合五勺 ( 〃  <ソ>)

〃波型鉄板葺〃      〃  四坪五合   ( 〃  <ツ>)

〃ルーフイング葺〃    〃  三坪     ( 〃  <ネ>)

〃   〃   〃    〃  一坪     ( 〃  <ネ>)

第四 物件目録

(一) 建物

市川市国府台町一丁目一番地の一

旧野戦重砲連隊敷地

宅地 五万五千三百十九坪五合九勺の北側に所在する

木造平家建物置 一棟 建坪 四坪(附属図面<リ>)

第五 物件目録

(一) 建物

市川市国府台町一丁目一番地の一旧野戦重砲兵連隊敷地

宅地 五万五千三百十九坪五合九勺の北側に所在する

木造ルーフイング葺平家物置一棟 建坪 三坪 (附属図面<タ>)

第六 物件目録

一、建物

<イ> 市川市国府台町一丁目一番

宅地 五万五千三百十九坪五合九勺の北東側に所在する

木造亜鉛鍍鉄板葺平家建

店舗兼居宅一棟 建坪 七坪五合(附属図面<イ>)

<イ> 右建物の南東部に接着する

木造厚型スレート葺平家建物 一坪 (附属図面<イ>)

<イ> 右<イ>建物の南西部に接着する

木造厚型スレート葺二階建

居宅 一棟 建坪 四坪五合 (二階四坪五合) (附属図面<イ>)

第七 物件目録

一、建物

市川市国府台町一丁目一番の一

宅地 五万五千三百十九坪五合九勺の

北東側に所在する

木造ルーフイング葺平家建店舗兼居宅一棟 建坪 六坪 (附属図面<ロ>)

第八 物件目録

一、建物

市川市国府台町一丁目一番の一

宅地 五万五千三百十九坪五合九勺の

北東側に所在する

木造亜鉛葺平家建店舗兼居宅 一棟 建坪 三坪 (附属図面<ハ>)

第九 物件目録

一、建物

市川市国府台町一丁目一番の一

宅地 五万五千三百十九坪五合九勺の

北東側に所在する

木造ルーフイング葺平家建店舗兼居宅一棟 建坪 九坪 (附属図面<ニ>)

第一〇 物件目録

一、建物

市川市国府台町一丁目一番の一

宅地 五万五千三百十九坪五合九勺の

北東側に所在する

木造ルーフイング葺平家建店舗兼居宅一棟 建坪十四坪 (附属図面<ホ>)

第一一 物件目録

一、建物

市川市国府台町一丁目一番の一

宅地 五万五千三百十九坪五合九勺の

北側に所在する

木造亜鉛葺平家建居宅 一棟 建坪 十五坪七合五勺 (附属図面<カ>)

第一二 物件目録

一、建物

市川市国府台町一丁目一番の一

宅地 五万五千三百十九坪五合九勺の

北側に所在する

木造ルーフイング葺平家建居宅 一棟 建坪 十坪五合 (附属図面<ヨ>)

附属図面<省略>

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